今日は朝遅めの時間だったけれど、また起きて外にでて、草取りを開始した。
最近は夕方にプールに行くのが日課になって、朝の草取りはそれと同じく
「記憶をつなぐ」意味合いを持つんだなとそう感じてありがたかった。
ただ毎日朝おきて、草をとるということが、自分の不安定な記憶を線と線で結びつけてくれる。
線で結ぼうとしたときに、ぶちぶちと切られて途切れ途切れにされるときの苦しさや混乱は、まだ世界と関わる上で起こりがちだけど、ゆっくりでいいから大切なひとたちにそれを理解していってほしいと思った朝。
結局そのあと倒れてしまったけれど、日に日に玄関や外がきれいになっていくこともだし、朝じぶんへの約束があることへの安心感
きっとそれ自体、だれかに強要したり、だれかにやくそくをさせたりするものじゃないんだよね。
みんなはどうして、平気でやくそくをやぶることができるんだろうと
プールの帰り際にそうおもいながら
やくそくを破っても、混乱しないみんなのことを思った。
誰も、悪くない
ただ、わたしの記憶が線と線でむずばれていくように
一生懸命そのことを考えようとおもった。
朝の草取りだけじゃなくて
そのあと水を庭の花たちにかけて、1日が始まろうとするその時間が、ほかのどんな時間よりも
たしかにそこにあって、嬉しくて、みずみずしくて、なけるくらいに尊いなと思う。
前のマンションにはベランダだから水栓はついていなくて、今のところに越した時にまず、外に水をまける水道がついていたことに嬉しかった。
玄関を掃除したり、そのまま水を撒いたり、花々にホースで水やりをするときに
じょうろに毎回汲んだりしなくていいことも
水が、すぐそばにいつもあることも
光に当たって、朝その場所で植物が濡れていくさまも
ただ美しくて、いつまででも見ていたくなる。
いまのところ朝の水まきと夕方の水まきは、わたしの生活の細い骨組みになってくれてる。
あしたはおじいちゃん先生に会いに行く約束になっていて、それが心に重くずんとのしかかる。
がんばろう。
素敵な満月と浄化の日になりますように。
No Comments