発達障害の診断を受けたときに、いろんな反応をもらって、とてもつらかった反応もあれば、理解に向かった関係、いろいろだったけど、
真っ暗闇だったわたしの転機に
最後、「わたしは、この先このひとに、ついていく」と
思わせてくれたのが、何年も音信不通を繰り返した最後に、訪れてくれた山下さんだった。
山下さんは、わたしにほとんど何も話さない。
美味しいとうもろこしが取れる地名のこととか、今日は地震で何人死んだぞとか、有名な建築家がこう言ってたとか、そういうことは延々と聞かせてくれるが、
マイのことや、自分らのこと、自分のことは、ほとんど言葉で何かを言うことがない。
そんなわけで、わたしは褒められたこともほとんど無ければ、好きだとか愛してると言われたこともなくて、
大好きなきもちを四六時中ことばで表現する自分とは対照的に、何を思っているのかがまったくわからないまま、今に至るのが山下さんだった。
前に手伝ってくれていた子が山下さんに連絡を取り、一度マイの発達障害のことや、状況を話す機会を作ってくれたことがあった。
そのときに、わたしには何も言ったことがないことを、わたしは人づてに聞くことになった。
彼は、わたしが診断を受けても何も驚かなかったそうだ。
むしろ逆に、始終混乱したりパニックを起こしていたわたしを見てきた彼は、
「自閉症?そりゃそうだよなあ。」くらいに思ったかもしれない。
でもその理由を聞いて、わたしはとても驚いて、嬉しかった。
今まで多分生きてきて、いろんな言葉を人からもらった中で、そのほめことばが一番嬉しかったんじゃないかな、ということを、わたしは人づてに聞いた。
「マイの目って、ほんとうにキレイだもんねェ。」
山下さんは、わたしのことをそう話していたらしくて、わたしは耳を疑った。
これまで一度たりとも、わたしの目がキレイだとか、そんなことは一ミリも匂わせたことがないくらいに態度に出ない人だった。
彼はいつも淡々としており、甘い言葉に乗ることもなく、乱れることもなく、わたしを見て
「君の瞳がきれいだよ」
というような雰囲気を匂わせたことは一度もなかった。
「だいすき」と目をうるうるきらきらさせても、こっちを一切見ずに
「ん。」と流す人だった。
むしろ、化粧を落としたら「うん、そっちのほうがいい」と、化粧にケチをつけるようなイメージとか、「マイはこっちのほうが似合うよ」と、ダメ出しを常にされるようなイメージで、
かわいいねとか、きれいだね、とかも正面からほぼ言われたことがない。
誰かが、誰かに言うことばには、誰かが、自分に向けて言う言葉よりも真実味があると思う。
彼が、わたしの目を「ほんとうにきれいだもんね、」と言っていたことを
聞いたその日に、
なぜだかわからないけどわたしは、
「ああ、この人がいい」
やっぱり、この人がいい
ってそう思ったんだ。
過去いろんなことを言われて、天使の笑顔だと言われたこともあれば、キレイだと言われることも、数えきれぬほどいろんなひとに言われたけど
一度もわたしにそう言わなかった山下さんが、他の人に言った
その言葉は、この先わたしを一生、文字通り一生支え続けてくれるだろうなとそう思った。
その日から、わたしは自分の目がそんなにキレイなんだってことを
ストンと受け入れられて、自分の目が大好きになって、
そして、そういうことを臆せずに誰かに言える彼のことを、もっと好きになった。
ことばは、誰かを傷つけることもあれば、
こんなふうに、一生の支えになることもある。
わたしはいつも、彼のことばを信じていて、彼の言うことは大抵信頼できて、彼がいいといったものは大抵いいもので、これが美味しいといったものは美味しくて、彼が美しいといったものはやっぱり美しい。
だから、わたしの目は綺麗なんだと、彼がそう言ったなら
間違いなくそうだと思うんだ。
一生宝物にしたいことば。
わたしに言われたわけじゃないけど、そんなことはどうでもいい。
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