今日は、看護師さんたちに良い報告をいろいろできて、嬉しい日だった。
たおくんの小学校のこともだし、先週本当に力になってくれたことも改めてありがとうと言えて、
例外が認められたことを心から喜んでくれていたことがとても嬉しかった。
わたしたちの思い通りの結果になったことよりも、
「今後きっと増えていくだろうし、認められたことはとても大事なことだよね」
と、ちゃんと本質的な部分で事情が認められることへの大切さをわかった上で、
心から喜んでもらえたこと
苦しんだり迷ったり、悩んだ甲斐があると思える。
何事も、たとえ結果がうまくいかなくとも、そうしてトライしてみることの大切さや、前例が無いと言われても、最初の変化の風を起こせる可能性がこうしてあるんだということを、見せられること。
こんなに嬉しいことは無い。
たおくんと一緒に出かけられたことも喜んでくれて、
今支えてくれているアキちゃんや、山下さんの話を色々訊かれて、山下さんのことを女の人だと思っていた看護師さんは
「おばさんだと思ってたよ」と言ったので、
「うん、おばさんではなくおじさんだね。」と答えながら、まもなく山下さんの46歳の誕生日が書き込んであるカレンダーをチラリと見た。
どういう知り合いかや、なぜ今になって来てくれるようになったのか?
など、色々訊いてくれて、どのくらい今信頼していて支えになってくれているかを話すことができたことは、なんだかとても特別なことだった。
”6年前に一時期付き合っていた人で、ずっと音信不通だった。”
ずっと連絡がつかなかったのに、どうして来てくれるようになったのか?
と聞かれて、
そうだよな、どうして来てくれるようになったんだっけか。
と記憶をたぐり寄せた。そういえばまだ、訊いたことが無い。
わたしは少し考えて、
「多分春に、あ、これで行かなかったら多分マイはいよいよ本当に死ぬだろうと、そう思ったんだと思う」
と言った。
理由はどうであれ、彼はわたしを助けに様子を見に来た日から、それからずっと来続けてくれて、今に至る。
最初来る時、それはそれは怖かっただろうなと想像していたら
看護師さんが
ふと
「そっかあ、覚悟を決めてくれたんだねえ」
と言ったので
(そうか。)
と一拍置いてから頷いた。
軽々しくちょっと世間話に来たり、久しぶりに元気かなと会うような
色めいた状況じゃなくて
生きるか死ぬかを彷徨っていたわたしを訪れることは
なんの保証も確約も無く、覚悟も勇気もいっただろう。
改めて、あの時のことを思い出して
ありがたくて胸がいっぱいになった。
夏休み。はじめてのことだらけ。また助けてもらった。
わたしが一番うれしいことは、
大切なひとたちに、自分の大切なひとの話を全てきちんと話せること。
今それが叶っていて、みんなが、自分の周りにいるみんなのことを知っていて、それぞれがお互い、信頼しあっていてくれて、連携しあってくれることがなによりも嬉しいんだ。
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