【この苦しみを、理解してもらわなくても良い。】
それが、唯一この国で、自分を守るために身につけるべくことだとは、誰が想像しただろうか?
理解してもらえなくとも、助けが必要なことを、とにかく伝え続けなければ死んでしまうとそう思って、生きてきた。
けれども、最後に辿りついた場所は、孤独なものだった。
でもそれは、自分さえ、生きるために必要なことを知っているだけで十分である、ということでもある。
それは、孤独ではなく、正真正銘の自由であり、自分が自分で自分のことを決められるという自立であり、【生きていくためにはたとえそれが法に触れることだったとしても必要なことである】と知りパンを盗む貧しい国の子供と同じように、誰に何を言われても、構うことはない。
NYで、数多くの違法移民の人たちを見てきた。誰もが必死で生きていて、たとえば自国で差別と虐待を受けてきた同性愛のカップルが生きるために逃げてきたり、貧困や戦争で生命の危険に毎日晒される代わりに、命懸けで海を渡り、二度と国民として正式に認められなくとも、その場所で生きることを選ぶこと。
わたしにとっての日本での暮らしは、そういうものなのだ。
一見豊かで何でも持っているように見える暮らし
何にも困っていないように、見える暮らし
でもそこに、生命に関わるサポートが社会からもらえないために、必死で生命を繋ぐ術を探し続けていることは、誰にも見えない。
そしてそれが、とてもささやかで、誰にでもできることで、みんなにとって当たり前すぎることで、100パーセント誰にでも助けられることしかないことも。
わたしは、海外に違法で永住して生きる道もある。その土地で結婚相手を探し続けて、合法に住む道もある。これまではずっと、合法の上で海外生活をした。
でも今もう、自分の生命が自分の国で保障されることは決してないことを、ようやく悟った自分にとって、どんな道に行こうとも怖くはない。
見知らぬ外国や誰もいない土地で野垂れ死ぬほうがむしろ、家族や知り合いや福祉が山ほどある故郷で、誰にも気づかれずに死ぬよりよっぽど惨めじゃないし幸せだと思う。
愛する人に守られて、世界に守られて生きられることを、望んで生きてきた。今はタオ君がいるから生きられるけど、タオ君にはタオ君の人生があり、そこが分岐すればわたしはまた正真正銘の独りになる。
この身を誰かに引き受けてもらえないことは、自分に魅力がないからや、何か問題があるからではない。
ただ、自分が自分の中にある愛に気づいていられること。
それだけで、本当に十分なんだ。
ひとを愛することと、ひとが生きるために必要なことを与えることは別のことだ。
誰かに愛されることと、いのちの危険に気づいてもらうことは
似て非なるものである。
そして、誰にもそれに気づいてもらえなかった時にわたしは絶望し、子供の頃から何度も死のうと試みてきたが、今はようやく、生きるために必要なことを自分に与えようと、そう思う。
誰にも理解してもらえなくても良い。
潤の元へ行こうとしていることや、山梨で暮らすことを、男女の無責任な色恋沙汰だと誤解されることは、本人にまで誤解されていること自体虚しいことではあるが、自分がそんな次元を超越して生きてきたことを、自分はちゃんと知っていることだけで、幸せだ。
NYに向かう前、わたしはフィンランドに永住しようとしていたし、日本で暮らす前も、ニュージーランドに永住するつもりでタオをその国で産んだ。
生きる場所に向かうことは、死にに行くことと同義語でもある。
そして、世界中にも、わたしと同じように、毎日なんとか生き延びるために知恵を絞りながら、家族にも友達にも誰にも理解されない場所で生きようとしている人たちがいて、そのひとたちは、この世界の光だと本当にそう思う。

タオ君が、自分を犠牲にする生き方ではなく、自分の幸せもちゃんと優先させられるように気づいてゆく嬉しい時間。
世間の価値観や世間の軸から外れても、自分を見失わないことが何よりも大事だとそう感じる。


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