庭いじりをしていて、お花を数シーズン、プランターに植えて、何度もハーブを枯らし、3年目で地植えを始めて、そのあとでバラデビューし、クリスマスのツリーは毎年枯らして、こないだのクリスマスはツリー無しの庭だった。
近所の家家の庭を横目で見ながら、ときどきとても手の込んだ庭があって足を止め、関心したり、丹精に手入れされている玄関の花に息を飲んだり、センスの良さに唸ったり、偶然家主が庭いじりをしていたら、声をかけて人生の大先輩に話を聞いた。
帰り道には必ずおみやげに花の苗をくれたりした。
この秋冬に、庭に花を植えるのをやめたのは、次の季節に引っ越しをするためにせっせと準備をしていたからだった。
潤がやってきて、老人夫婦のように外を歩き、まいの庭の大きなプランターに植えてあるバラの苗について言及をもらったりした。潤は昔からバラを育てたり、家の中で観葉植物を育てたり、植物の好きな人だった。
わたしがバラデビューをしたのはすごく最近になってからだけど、なかなか花はつけてくれないし、触るたびに棘がささって痛いし、よく病気っぽくなったり枯れたりするし、でもまだバラの苗は庭にいくつか生きている。
人の庭をみて、そのひとの人となりを思い描いて、そうか、庭いじりにもセンスが必要で、センスがあっても手入れする細やかな愛がなければそれは成り立たず、ダサくても愛を感じる庭があり、それは人の数だけ存在するアクティビティなのだと学んだ。
そして、わたしは玄関に花がたくさんあるのが好きだ。
それは、自分のためというよりは、人が歩いていて、お花が飾ってあるお家をみると幸せになることを、他の誰よりも知っているからにすぎない。可愛い洋服をきたり、お化粧をしたりするのと似てるな、と思った。
わたしは自分のために可愛い洋服をきたりお化粧をするのが苦手だ。
できることならいつも裸に近い状態でいたい。
でも自分が生命に触れながら、庭を育むことで、通りがかるひとたちが癒やされたりほっと愛に触れることを想像することは、それよりも幸せなことでもある。
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