ともこおばさんがくるということで、重たくて苦しい足取りがさっと上がった3月2日だった。
着物を整理できて、ともこおばさんがだいぶ助けてくれて本当によかった。
多分ひとりだったらかなりキツかったっぽい。
荷物を処分したり整理するのは、プロの力を借りないと難しい。
それだけはわかる。
とにかく、なんかごそっとまた前に進んだ感じがす1日になった。
免許の更新にも行けた。すばらしい。
だいだいとだし醤油のポン酢や、ほかの色々を教えてもらうのに、いこうと思っていたから
本当に偶然でバッチリだった。
家にいって、はっさくをもらうのに、また真形式で、偶然会えた。30秒ずれてたら会えなかった時間。
わざわざだし醤油買ってきてくれて、本当に嬉しかった。
犬も尊い存在で、話をきいて、ああ、
なんか、どしっと地に足のつく感覚のする、自分が愛している世界が
ちゃんとここにある、と感じられた。
お母さんやお父さんと話してると、見ている世界も大切にしていることも、なにもかもがずれていて、
すごくすごく苦しくなるけど
ともこおばさんは、なんていうか
ちゃんと大事なことを大事にしようとしているひとだと感じた。
それが嬉しいし、盲導犬のはなしも、それが尊いことだと知って育てていることも、
いろんなことが大切な感じの日で
そして、206ではお母さんが、わたしには見向きはしなくとも、
たおくんがくることが嬉しそうで、あけましておめでとうと言って、たおくんにきて欲しいと言っていて、
なにかあったらタオ君呼ぶねと言っていて、
帰るときも、くるのは3日後だよといったら、そんなに開くの?と言っていて、
たおくんに会いたいきもちが伝わってきて、涙が出そうだった。
たきのおばあちゃんのお弁当をつくること
誰かになにかを言われたからやるんじゃなくて
褒められたりお金をもらったり、家族だからとか老人だからとかじゃなくて
ただ、してあげたいと心から純粋に想うから、作ること
そのことを、ともこおばさんが心から認めてくれて、
えらいと言ってくれて、
嬉しかった。
わたしは、親に褒められたことがなかったから
普通に、そうやって、これまで、自分が生かされる場所で認められたり愛されたり、評価される世界じゃなくて
自分が必要とされない、お荷物なだけで、誰にも褒めてもらえない、そういう世界で認められようとしていたんだと感じる。
40歳になり、わたしは、もう自分の幸せのために、自分の本当に生きたい世界で、心から自分を認めて愛して評価し、
そうやって生きることを決めた。
そしたらともこおばさんに会えて、わたしはちゃんと褒めてもらえて、価値を認めてもらって、
あらくもきっと、わたしが調和していることを感じ取って、そばにいてくれたんだ。
これから、なおちゃんや、まりあや、真さんや、ともこおばさんや
あらくや、自分を認めてくれるひとたちと
一緒にいられるんだ。
そして、それはわたしがちゃんと、選択したからそうなった。
それはそれは、素敵なことだ。
お母さんが寝たきりになって
誰にも会えなくなって
潤君のことを思った。
でもなんかもう、今がたまらなく愛とありがとうで満ち溢れていて、
ほんとうに、どうでもよくなってる。
いつもそばにあって、潤は消えていなくならなくて、
一緒にいられるかどうかなんか
関係なくて、
ひた幸せだと感じる。
胸がいっぱいで、ありがとうでいっぱいで、
嬉しい。
No Comments