外国に出産をしにいくと周りに言った時、相談できるような人は誰もいなくて、なぜなら、それを応援したり是非を判断したり、軽々しいわけではないという意味や、理由を理解できる人は、ひとりも居なかったからだった。
自分が生きるために、生命を繋いでいくために必要なことを知っているのは、いつもこの世界に自分だけだった。
世界が差し出してくるそれを、選り好みしたりわがままを言ったり、傍若無人に振る舞ったり、子供じみた無謀なことをしたかったわけではない。
わたしの人生はいつもただ、生きるために必要なことが、本当に皆とは違っただけだった。
わたしは最後まで、あまり周りのひとに出産をしに誰も知り合いのいない外国にいくことを言わなかった。
いちいち反対されては危険を顧みないと否定されることも、最初から聞く耳を持たない人に説明をしては的外れなことを言われ続けることも、昔から慣れすぎていて、ただ面倒だった。
でも今はわかる。
あの時と唯一違うことは、わたしはきっと日本で出産をしていたら死んでいた。
それを知っていることと、自分のことを知らない人があれこれ言おうとも、気にならなくなったことだ。
この国で自分が生きられないことを知っていたからこそ、必要なサポートを周囲の人からもらえないことを、小さいころから肌で知っていたからこそ、毎日毎日死にたいと思いながら最後、パスポートを握りしめて日本を出た。
山梨に行くことはそして、タオ君以外の誰にも、理解してもらうことはなかった。
それは彼がお腹にいたあの時と同じで、毎日のようにいろんな人から否定されることを言われて、うんざりする代わりに
あ、この人は助けてはくれないから、ただ話を聞こう。
とそう思えるようになったことは、自分を褒めてあげたいことのひとつだ。
タオ君と自分が、何年も苦しみながら生きるか死ぬかを彷徨い続けて最後に、潤の元へ行くという選択は、潤が反対している以上誰にもサポートしてはもらえない。
それでもあの時と同じで、わたしはこの場所にこれ以上いたら間もなく死ぬことを知っていて、タオ君もそれを知っていて、そして、なおちゃんとえみちゃんが、絶対に潤君のそばに行ったほうがいいということを、知っていてくれること。
それは決して一人ではなくて、誰もが理解してくれないことを
なおちゃんが、わたしや潤君がどれだけ一緒にいようと努力してきたことや、有限の生命の中で、待っている時間などないこと すべてを捨てる覚悟で行くことは、意味があることだと言ってくれたこと、
いつも支えてくれて、助けてくれて、最後に背中を押してくれたこと
きっとこの先も一生忘れない。
それは、この世界には生きることがとてつもなく難しい状況を抱えながら、おぼつかない日々を生きる脆さや儚さのことを
ちゃんと知っているひとでなければきっと、わからない。
そして、その脆さや儚さが、大切に日々を全うして、本当に大切な人のそばにいることで、強く確かなものに必ず変わるということを
自分が、ちゃんと自分自身に対して知っているということだけで
十分な気がした。
誰かに何かを言われるたびに傷ついて、自分の生きる道を永遠に塞がれ続けた日々。
これからは、誰も自分を傷つけることはできない。
そしてわたしには、タオ君がいてくれる。
あの日まだ1人だったお腹にいたタオ君と、2人でこれからも人生を切り開いてく。そして、この場所に残ったほうがいい、と思う人との縁が静かに終わってゆく。
これまでに感謝と、これからに愛と創造のエネルギーをひたすらに注いでく日々。
真っ暗な夜はきっと、明ける。
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