タオ君が、自分の話をするようになったのは
ほんとうにあとの方になってからで
今でも、ほとんど話すことはない。
彼の中にはたくさんの豊かな情緒や感情が存在しており、ドラマを観たり映画を観たりすると、普通の子どもだったらきっと確実にスルーするであろうシーンにも心を震わせて、わたしの腕をぎゅっと握ってくるのだった。
でも学校で何があったかとか、どんな楽しかったかとか悲しかったかとかは
わたしもそうだけど、その時から後で思い出して遡って思い出すのが難しいのもあって、忘れてしまうのだろう。
だからタオ君がふとしたときに、「xxだったよ」ということを後から言ってくることがよくある。
引っ越ししてその後になってから、「みんな泣いてた」
と言われたとき、何のはなしをしているのか一瞬よくわからなくて、よく聞くと、前の学校の最終日にクラスメイトや一緒に過ごしてきた学校のみんなが、泣いていた、とのことだった。
タオ君は悲しくなかったのかと聞くと、本当に飄々としており、いつも彼はそうだった。何かに執着したり、何かを恋しがったり、悔しがったりしたのは、今思い出しても数える程度で
彼にとってそれは本当に本当に思い入れのあったことだったんだろう、と思うようなことは少なかった。
彼の中で、古い環境にがんばって別れを告げて、そして手放し、勇気を出して次へ向かおうとしていた時期、それは夏やすみのことだった。
毎日毎日一緒に話して向き合って、わたしもまた、人生の本当の転機を迎える前に多くの棚卸しや癒しや勇気を要した。
だから結局1ヶ月以上実際の移動が遅れた10月になった頃には、もうきっと彼の中では大きな時差が起こっており、皆がタオ君を恋しがる頃にはタオ君のなかではキッパリと決別できていたのであろう。
わたしは、支援者のひとたちや友達や知り合いや過去の恋愛や結婚を含めて、綺麗にお別れができたことが極端に少なかった。
多くの出会いを別れを繰り返す中で、関係が破滅的になって相手の怒りで縁を切られることのほうが圧倒的に多く、またはへとへとに自分が傷つき疲れ、ボロボロになった果てになんとか逃げて自分を守るとか。
タオ君が経験している、健やかで、よく見るような、みんなと仲良くして愛されてお別れを悲しがって、ありがとうと言われる関係を
彼は、学校にいる間、何気なく自分でいる間に築いてきたのだろうと思うと、胸がいっぱになった。
それは、どれも自分では経験したことのないことばかりで、彼の世界がどれほど愛と豊かさで満ちているかがよくわかる。
引っ越しのドタバタの中で、一度もそんな別れを惜しむような時間を取れずにきたあと、1週間が経過してから、荷物からともだちからのメッセージカードを見つけた。
そこには、多くの友達から
面白いことで笑わせてくれてありがとうとか、
算数の勉強を教えてくれて、わかりやすく教えてくれてありがとう、
一緒に遊んでくれてありがとう、
と多くの子から書かれていた。
家で、わたしを面白いことを言って笑わせることはほぼ無くて、
算数の勉強を教えてもらうこともほぼなくて、
一緒に遊ぶこともほぼないけれど
タオ君は、わたし以外の世界でこんなふうに立派に生きている。
それがたまらなく誇らしかった。
新しい学校が今日から始まる。
タオ君の新しい毎日が、おもしろくて楽しくて元気で豊かでありますように。
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