死んだお母さんは、ほんとうに豊かな人だったんだなと
そう思うたびに、惨めな生活がすこし、潤ってゆくようで
安心する。
そんな母は、もう居ない。
自分がおもう、豊かさを
これからは、自分たちの手で作り上げてゆかなくてはいけないんだ。
それでも今、タオ君と2人、毎日「すごい田舎だね」と言いながら暮らす生活は、今までの過去と比べると、とても貧相で、惨めになるけれど
そのおかげで、これまで、どれほど豊かだったかを思い出させてもらう。
日本で生活すること
海外で生活すること
全ての国や環境で、生活水準も与えられる環境もなにもかも異なっている中で
自分のたいせつを、思い出してく。
どのコンビニも建物も蜘蛛の巣が張っていて、それは掃除が行き届いていないのだと思ったけど、そういう土地で、1日や2日で蜘蛛の巣は張るんだそうだ。
おしゃれできれいで素敵な家
洗練されている土地
何もない場所
汚くて、水道から出るのが泥水だった中国での暮らし
どれもが、今の自分を支えてる。
潤もまたきっと、自分と同じように海外で暮らしてきたときの記憶と共に生きていて、アフリカの本当に生活のインフラの整っていない環境の中で、いろいろなことを思って今の自分を支えているのだろうと思う。
わたしはそして、その産まれた国の与えらえた豊かさを思うとき、お母さんを思って泣いて、1号分だけサイズの大きい指輪をはめる。
妹が、母の遺品を整理したときにアクセサリーはどれも要らないからお姉ちゃん欲しかったら持っていけばと言った中に、母の婚約指輪もあって
デザインも自分とは好みが違うし、サイズもすこし違うけれど
それを思うと、ずっとそして、お母さんが生きていた40年間
それに守られてきたことが、わかるんだ。
これからは、自分が、タオ君や潤にとっての豊かである存在でありたいとそう思う。
自分のお母さんのようには、できないかもしれないけれど
わたしはわたしの、やり方でいい。
買い物に行くのも苦手なわたしは、母を横目に、そのやりかたを見つめてた。
お金の使い方
食べるものの買い方
挨拶の仕方
本当に素敵な人の娘にわたしは生まれたんだった。
そういえばお母さんが死んだときにひとつシンプルなリングがあって、わたしはそれを潤に送った。
会えなくても、連絡できなくても、あなたのことをちゃんと待っているよという印のように、1番大切なものを彼に託したのだ。
そしていつかまたもう一度会えたら、またお母さんに会えるみたいに。
お母さんはここにいる。
今自分が住む場所に。
潤がずっと生活をがんばってきたその場所に。
わたしたちが、生きるこの場所に。
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