いろいろな、場所にこれまで住んできた。
愛知の実家から学生時代に飛び出て、一人暮らしをして失敗したり、つきあっている人の家に住んだり。
日本では、名古屋の吹上と、名古屋の泉、大阪の本町、愛知の実家の近くで市内で3回引越しをした。
実家暮らし以外だけで数えても、6回別の場所に住んだことになる。
今の山梨の中央市で7度目の生活が始まった。
そして、フランスのシャンベリーのアパルトメント、上海でも三度引越しをしていて、ニューヨークでもクイーンズ、ブルックリン、マンハッタン全て住んだ。
最後の外国はニュージーランドで、2つの家にお世話になった。
どの家も、全てきちんと覚えていることが、今書いていてすごく不思議だ。
そのときの場所の匂いや記憶、関わった人々や国や土地の文化
それぞれ季節も時代もなにもかも違うけれど、20歳のときから10回以上引っ越しをした中で、そのすべてに共通することがひとつある。
それは、そこには暮らしが存在しているということ。
旅行ではなく、地域の店で野菜や調味料やトイレットペーパーを買い、洗濯をし、料理をし、掃除をし、その場所で生きることがそこには共通しており、言葉も文化も違う中で手探りで自分なりの暮らしを立ち上げて回すということを、この20年ずっとやってきた。
水の合う場所で生き生きと元気に過ごしたり、環境の良い土地で健やかに暮らしたり、合わない自国の文化に適応するために何度も病気になって、生きるか死ぬかを漂ったりする間も、そこにはクオリティの差はあれども「暮らし」が存在した。
わたしは、どんな高級なエリアで住んでも、比較的みすぼらしいエリアに住んでも、自分の好きなインテリアで統一するときも、大勢の出入りする中でも、生活スタイルがいつも一貫してい変わらなかった。
いつも自分の部屋を訪れるひとたちは、インテリアの素敵さに感嘆していて、でもわたしは一度もインテリアを凝ったり勉強したり、ブランド家具を買ったりしたことがなかったので不思議だった。
わたしが部屋に揃えてきたものは、本当に道端で文字通り拾ったものもあれば、いつもどの国でも帰るイケアの安物もあれば、ローカルのダサい棚もあれば、たまに掘り出し物の可愛い雑貨もあった。
そのどれもは、引越しのたびに精査されて棚卸しされ、ずっと使い続けているものもあれば、その都度処分されるものもあり、今回本当に人生の転機となった転居で、ほとんどすべてのものを処分した。
まるで外国に行く時のようにスーツケース1個で身軽に行くことを決めていたけれど、それでも生活に必要なものを確保していくと、所持しているものの多さに圧倒されるばかりで、最後のほうはもう打ちのめされて絶望した。
そこにはそして、お気に入りだとかなんだとかの前に、生きるための生活に必要なものがあり、自分にとって、暮らすこと、生きること、その場所にいのちを吹き込むことこそが、インテリアや空間なのだと本当にそう思った朝だった。
部屋をきれいに保ったり、おしゃれなインテリアにすることに助言を求められることがこれまでもとても多かったけれど、自分が若い頃に好きだった言葉は「機能美」という言葉であり、ただ必要な機能をつきつめてゆくと、純粋なものだけが残り、それは必然的に美しくなる。
自分が暮らすということは、そういうことであり、生きるということもきっとそうなのではないかなとそう思う。
機能を追求した結果、美しさが残る部屋は、きっとインテリアのことを何も知らずとも整った空間になる。
そして、生きるを追求した結果、生まれる生活や暮らしは、ほんとうに整然としてゆき、自分が営む場所に次第にいのちが吹き込まれてゆく。
最初越してきたときの古いマンションは、本当に命の気配がまったく無い場所で、怖くて最初の数日うなされた。
もってきた観葉植物はまるでその死んだ気をすべて吸うように枯れてゆき、これまで住んできた場所で生き生きとする代わりにぐったりした。
恐ろしくてこわくて、もうダメだと何度も思いながら、荷をほどき、掃除をして、水を流し、洗濯をし、食事をなんとかそこで回すようにし始めてようやく10日と少しが経つ。
そしてやっと、空間がもう一度いのちを吹き返し始めるのを感じる。
素敵な空間にするコツを教えてほしいですと、言われたけれど
素敵な空間など、目指さなくても良い。
それは、部屋にいのちを吹き込むことであり、死んでいる場所を起こすことであり、生きている場所を放置せずに生命だと思いながら回し続けること。
それができる場所が、いいエネルギーとなり、いい空間となり、素敵な場所になる。
自分が歩いた軌跡にキラキラする星が輝いてゆくように
自分が生活する場所が、光りだすように。
そうやってわたしは世界中のどの場所で暮らしても、生きている。
今日も。
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