偏見がないということ
たったそれだけのことが、どれほどの愛なのかと毎日思い知らされるような思いがする。
ただ、わたしという人間を
誰かという人間を
思い込みや
偏見や
あたりまえや
先入観抜きで
ただそのままを見ること。
たったそれだけで全ては何ひとつ問題では無くなるんだよね。
予定
お出かけ
日々のこと
どうしてしげこさんとこれだけスムーズに話せるのかなと思うと
そこに、相手への偏見がないからだ。
その予定が難しいかとか
できそうだとか
一切の意志を入れずにただ、ただ純粋に
わたしに訊いてくれること
きっと難しそうなことを、教えてくれること
できそうと言ったことを、心配せずに「それはできるのね。」
と言葉のままに、受け止めてもらえること。
揺さぶられて真ん中に落ちてゆく。
一番静かに、余分な情報が消えて、淘汰されて
必要なことが拾えるようになる。
ただ、わからないことを訊く。
そして判断しない。
この2つの、コミュニケーションの最も純粋な部分を、投げかけてもらうことで
わたしの視界はどんどん明るくなり、世界に灯が灯ってゆく。
今日もたくさんのしんどいことの中で、しげこさんの愛がおおらかに包み込んでくれて、明るくて楽しい1日になった。
これまであまり人に色々話すのが苦しくて辛いのは、自分の行動や言動に
たくさんの判断が入ることで
情報が複雑化するからだった。
それはすごいねとか
それは難しいねとか
その基準は、あくまでその人の中にあるものであって、わたしにはほとんど関係ないことが多い
できるかできないかとか、必要な情報は、わたしの中にしか無いのに、相手の基準が入ることで、教えてほしいことは途絶えてしまう。
そうか。しげこさんは純粋に訊いてくれるだけでそれがとても心地いいのは、
判断をしないからなんだと今日思った。
思い込みや
偏見や
あたりまえや
先入観や
判断は
枠でわたしたちを守ってくれることもあるけれど
枠から外れてしか生きられない私たちにとっては、いつも邪魔になってしまう情報なんだなと思った。
まっさらな目でこの世界を眺めてみたい。
手放してゆく。
コントロールも
判断も
何もいらない
愛の世界。
楽しくて温かい。
しげこさんと話す時はいつも大声でわたしは笑っていて、その感じも潤といるときにとても似てるんだぁね。
自由で、ふかふかの大きな愛に包まれる。
また明日もがんばろう。
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