誰かと自分を比べて、惨めなきもちがしたり、自分がとてもつまらなく感じられること。自我が育ってくるに従って、そんな自分を否定するようになった息子。
それでも平均よりもたくさんの良いところを持っていることや、誰もに等しい価値があることを
教えてゆく母10年目。
それは、母としての教えというよりかは、もっとプロのセラピストとしての教えでもあるけれど、どちらにせよ彼が自分なりに何かを掴もうと必死な中で、信頼で成り立つ関係の元にそういう会話が繰り広げられることは、価値があることのように感じる。
そして、自分にとって、生涯かけて人々に伝えたかったその愛のことを、自分の大切な子どもへ伝えられることは、この上ない幸せであり、生きていてよかったとそう思える瞬間だ。
その苦しさは、わたしもとてもよく知っていて、それでもエゴは解体される運命にあることや、保持しようと器用に立ち振る舞ったとて、ママの前でそれは粉々に崩されるということを彼はよく知っている。
いいエゴと、どんな風に関わり自分を守って生きてゆくのか。
そして、自分を苦しめるエゴを、上手にコントロールして制御してゆく術を身につけること。
そのどちらもが、今の彼の課題であって、上を目指そうとすればするほど、自分よりも能力の高い人たちにこの先出会ってゆくだろう。
その度に打ちのめされて、惨めさを乗り越えて、そして自分という人間を丸ごと受け止めた上で、愛し生きてゆくこと。
その一点を見ながら、日々を重ねてゆく。
わたしがいつか、中学生だった頃に、美術の専門の高校を教師から薦められ、わたしは最後まで拒絶し断り、美術のない普通科の高校に進んだ。
あの頃もしも、自分のような母親であったり、たったひとりでも、わたしの能力や才能や本質を、肯定し伸ばそうとしてくれる人が居てくれたら、もしかしたら私は、今と違った人生を歩んでいたかもしれない。
自分よりも優秀な人間に囲まれたときに、縮こまる代わりに、どんなふうに乗り越えていったり、どんなふうに自分を愛し、肯定するかを教えてくれるひとがいてくれていたら
きっとわたしは、ずっと高みを目指し続けただろうとそう思う。
そして、ずっと何十年も経った今、影山や日向が、地元の中学で能力に見合わない場所で苦しんだあと、高いレベルのチームに恵まれたときに登り詰める姿を見て、全国に選抜されたときに
「強いは、心地いい」と震えたシーンをみて、胸が苦しくなったこと
それは、ほんとうに、ほんとうに価値があるということ
アメリカに渡ったあと、たくさんの優秀な人たちと素晴らしい出会に巡り会えたわたしが、心底感じた喜びだった。
人の価値は、本当に等しい。
どれほど洞察に満ちた聡明さも、愚かで不満だらけで傷つけあう在り方も、どちらが上も本当になくて、みんながそれぞれ与えられた場所で、全力を尽くしてる。
それでも、小さな小さな世界でギュンギュンに自分を奪われてずっと死にそうになりながら子供の頃から生きてきた自分にとって
この世界がより良くなることを真剣に考えている、世界のリーダーたちの愛に触れた時の
呼吸が楽な感覚は、わたしにもう一度生命を吹き込んでくれたから。
教養があり、優秀で、能力を、この世界のために謙虚に謙虚使うために日々努力しているひとたちのことを
わたしは、ただ、尊敬し愛している。
そういう人たちに愛され、恵まれて、そして支えられて生きてきた。
そして自分がそちら側に行くことは、きっと彼にとっても勇気がいることだろう。与えられたIQも性格も外見も全て、生かして愛の元に生きられたら、きっとこの世界は本当に豊かになるとそう思う。
でも、そんな模範的な人生をただ歩ませたいという思いは個人的にはさらさら無いし、ただ彼の望みに添いたいとそう思う。
堕落した生活も、自分のことしか考えずに立ち振る舞うことも彼の選択で自由だ。
ただ、わたしという人間を母に選んで生まれてきてくれた彼に、自分がこの人生で生きてそして出会ってきた全ての経験を
授けて、そしてその多くの選択肢の中から、道を選んでほしい。
わたしは、子供のころは絵の先生になりたいとそう思っていた。
美術教師だった父が大好きだったから。
でも思春期になり、自分の方が両親よりも圧倒的に世界を臨む深度が深かったことに気づいたとき、絶望しかそこには残らず、道は消えてなくなった。
それから一度も何かになりたいと思ったことはない。
そんなわたしとは対照的に、保育園のころから、家を作るひとになりたいと言っていたタオ氏は、一度もブレることなく建築の道に進みたいとそう思っている。
行きたい大学が決まっており、毎年の七夕には大工だったり建築だったり多少の言葉の変化はあれども、夢を素直に綴り、勉強熱心で、頭もいい。
眠る前に突然、「ぼくは1番をとって奨学金をもらって、早稲田に入って建築を学ぶんだ」
と嬉しそうに言ったタオ氏。
わたしは、1番がとりたくて、取れる実力があっても、親からは、「高望みをするな」と言われ続けてきた。そのうち、自分が望む道はただの欲であり、本当の自分には見合っていないのだ、と当たり前に感じるようになった。
中学で1番の成績を取ったときも、それを支えて伸ばすことを誰かからされたことは一度もなくて、いつも1番だったメンバーが調子が悪かっただけだよ、と言われた。
そしてわたしはそれを信じ続けて大人になった。
今わたしは、凸凹に時に苦しむ
そんな彼の道を、支えたいと心からそう感じる。
どんなに自信が揺らいでも、どの能力が足りないように感じても、誰と比べて自分を見失っても
どこに逸れても、君が行きたい道に、必ず戻ってこられるように。
そして、凸凹で足りない能力は、必ず支援をしてもらって得意が活かせる世界になっていることを信じて進めるように。
そして誰かのことをこんなふうに支えられることが、今の本当のわたしの幸せだとそう思う。
仕事でみんなのことを同じように支えさせてもらってきた時と、おなじような気持ちだな。
ありがとう。
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