チュモンに出てくるヨンポ、一番好きかもしれん。 昔コナンで誰が好きかと聞かれて、小五郎と答えたことがあるけど、「え?なんで?」って聞かれて、あの薄っぺらさっていうか、あまりの軽薄さというか脇役感、それでいてちゃんと愛されて生きてゆけるということを体現している人とか、まじで尊敬すると思うから。マジで真似できない。 チュモンも、出てくる人物と自分を重ね合わせると、どう考えてもチュモンとかソソノの過酷な […]…
助けが必要なことに気づいてもらえない場所に 必死で、助けが必要なことを叫んできて、それでも気づいてもらえなくて、とても、疲れたなと思った。 今はただ 休みたい。 自分から助けが出せないことに、気づいてもらえないのは今に始まったことじゃないけど、声をかけてもらえることのありがたさのことをいつも思う。 絶望とか悲しみとか全て過ぎ去って凪の中でただ、疲れたと感じる。 殺される恐怖を味わい続けるのは、もう […]…
自分の中に、わたしは価値がないとか、人に迷惑をかけるだけの存在だとか、そういうのは本当あんまりなくて、助けが普通のひとよりも必要だったとしても、ただ等しく生きる価値があるとそう思っていた。 ゆうさんがズタズタになったわたしの身体をずっとハグしながら受け止めて、その中で自分がいかに長年苦しんでいたかがよくわかったし、なぜずっと死ねばいいと感じていたのかも、よくわかった。 結局それは、周囲の人からのネ […]…
今はもうネットフリックスを見ていないけど、ウヨンウのドラマの最後の回で、戦争中には自閉症の人たちは、殺される対象だったと。生きるに値しない存在だったことが描かれている。 アスペルガーや、わたしのように、単純な助けさえもらえれば人の役に立つ仕事ができるような人間でも、価値は無かった。 今の時代にもその名残は山ほどあって、日本での生きづらさのことを思う。 それでもなおちゃんやゆうさんのように、諦めずに […]…
過去愛した誰かが、愛している人じゃなくなることは、無い。 3年前の夏に、この部屋でりゅうじと過ごしていた時間は、ただ愛に満ちていた。 でも、ただ発達の特性への理解のところだけが、お互いのハードルで わたしたちはそれを、乗り越えることができなかった。 ただ好きなひとの側に居られるということは、当たり前ではない。 目に見えない障害のことに気づいて初めて、それは成り立ってゆく。   […]…