なおちゃんが、様子を見にきてくれた。
腫れ物を扱うようにして、人びとにこうやって距離を置かれるとき
ボロボロに傷つけてくる人たちよりも、もっと傷つく。
タオ君が、そばで、何事もなかったように一緒に過ごしてくれて、気遣いあって、なおちゃんは、わたしが一度も助けてほしいと言わなくても、さりげなくそうして、足を運んでくれる。
辛かったことや、嫌な出来事や、あってはならない酷いことも
なおちゃんと短い時間過ごすと、あたかかくて、自分がまだ
人として、ちゃんと見てもらえていると感じる。
なおちゃんや、アキちゃんや、わたしを
そう言うふうに、ちゃんとひとりの人としてあつかってくれる人は、決して多くはないし、ほとんど居ないけれど
ちかくになおちゃんがいてくれて、よかったと思った。
夜、連日の最低な騒動に疲れていたタオ君に、やきそばを残しておにぎりを作ろうとしたら、「ママ、ごめんね」と言われた。
なにをごめんねなのか、全然わからなくて、食べ物を残すといつも怒るからそう言ったのか、わからなかったけど
旅行の後、ママはずっとサポートがもらえずに倒れていて、そんな中で外食や弁当が続いて、警察に連れてかれて、もちろんわたしも疲弊の骨頂だったけど
でもタオ君を気遣わないわけにはいかなかった。
お茶に氷を入れるか訊いて、お茶を用意して、おにぎりをさっと作って,
むしろこっちがごめんね。いつも辛い思いをさせてしまってごめんと
そう思いながら、話すと
「ママ、ごめんね。なんか、おにぎりとかお茶を用意してくれて、ありがとう」とそう言った。
タオ君は、わたしもズタボロの中でそれをやってることに気づいていて、
それを思いやる余地があり、タオ君も疲れているのに、周りに優しさをかけるだけの愛がある。
ひとりひとりが、ただ小さなことを分け与えあえたら、わたしたちは絶対に、こんなふうに、どんな辛いときだって愛の中にいられるのに。
本当に本当に、かなしかった。
悲しかったけれど、タオ君や、なおちゃんは、その「なにかできることを今する」大切さや、優しさをかける大切さや、人を、人として扱う尊さのことを知っていると思う。
たった小さなことが、この世界を支えてる。
ほとんどのひとは気づいてないかもしれないけれど、
それがどれくらいに小さいものであって、どれくらいに些細なことであって、それが、大切な命を繋いでいるということに
みんなが気づいてくれる日がいつか、来ることを祈ってる。
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