支援・配慮について

buddy system バディシステムという答え。

02/28/2024

buddy system バディシステムという答え。

長年、ずっと 半人前の人たちは、お互いが支え合ってやれば絶対うまくいくのに。と思っていた。
でも、同じように思ってくれるひとにはなかなか出会ったことがなくて、できることが凸凹で1/2でも、お互いが補合えば絶対に困ることが減り楽になるのに…。と思い続けていた。

周囲のポニョたちはみんな、こんなにも自分はできないのに、他人の助けなどできるわけがないと自己評価の低い状態にならざるを得なくて、誰もができるシンプルなことを「助けてほしい」と願いでても、うまくつながらなかった。

それは個々の自由よりも、みんなの標準に合わせなければいけない、そこに見合わなければ劣等、という日本独特の環境もそれを加速させてきたのだと思う。

 

でもある日、例の藤野博先生の本のなかに見つけたバディシステムという1つの支援のアプローチの仕方。

 

支援者が、当事者を支援するのではなく、相性のよい子とコンビを組んで活動する、という正式な支援プログラムがある。しかもやはり、似た特性の子同士がいいと書いてあった。

つまりは、

定型発達や大人→助ける側

発達障害や子ども→助けてもらう側 という固定的な一方通行(これは早く崩れてほしい世間の偏見)

じゃなく、誰もが助け合えるという認識の仕方。

元々は、ダイビングやクライミングなどの危険を伴う活動において、危険に晒されるのを防ぐためにペアを組んでお互いの安全を見守り合うというシステムらしい。

でもこれが、確実に発達障害児たちの希望になると思った。

10年後には当たり前になっていてほしい関係性。

多分発達っ子の親たちも、「この子に友達をあてがうなら、同じポニョじゃどうしようもねえ、せめてきちんとした子に面倒みてもらえますように🙏」と思うに違いない😂 その気持ちもわかる。

でも、この数年多分支援で関わってくれたひと50人以上やってみて、上手に助けてくれるひとたちは、非定型か定型かは、まっっっったく関係がなかった。自分もまた、つまづくポイントが同じだから、相手の気持ちが手に取るようにわかって助けられることがよくある。

 

発達障害のひとたちは、1人で自立しようにもどうしてもできないところがたくさんあるので、いろんな形で依存できる方法を探してきたはず。

ちなみにわたしが、高校や大学というコミュニティ(これは守られる!)を終えた後、何度も死にかけて、

【自分が生きるために】やったことは、

・外国に住む(外国は基本、日本とは違い、見知らぬひとも誰もが助けるのが多い、これほど閉鎖的な国はないのでは?文化の違いや多様性をみなが尊重し合える場所が多い)

・売れて認知をあげる(ファンの人に常に見守ってもらうことで、支えてもらう)

・会社を作ること(秘書やマネージャー、スタッフができないことをやってくれるので、得意なことが生かせる)

・恋愛・パートナーシップ(言わずもがなで心も生活も支えてもらえる、言葉のハンデがあるわたしには、セックスやキスやハグなどの、肉体的なコミュニケーションが最も安心につながる)

・結婚や家族(切れない関係、支え合える関係)

 

このどれもが、”自分に注意を向けてもらい、愛されること、形式的な縛りを作ってもらうことで、周辺の困りごとを見えなくさせるというもの。

 

でも、才能豊かで、それで無意識に成り立っているひとたちももちろん大勢いるとは思うけれど、本質は「生きるために大人ならば普通にできること」の欠落を、サポートしてもらう、という部分にあるのだよね。

なので、どれだけ恋愛をしても、どれだけ会社経営をうまくいかせたとしても、根本的なところにアクセスしていると言えば、そうじゃないから、関係は破綻する。

 

加えて思うのは、助けが必要な生きづらいみんなにとって必ずしも経営の才能やわかりやすい技能があるかは別だし、恋愛や結婚に興味がない場合は?

どう生きるの?

 

ずっとそう思っていて、

どんなひとでも、誰もが一律で必ず助け合える、代替方法ではない根本的な方法論を見つけたかった。

 

恋愛依存や歪んだ関係で自分の足りないところを補おうと、仕事を転々としながら必死で生きづらさに耐えてきたひとたちにとって、もしもこういう、バディシステムのような仕組みや、必要な関係である。という認知が広がれば、

「自立してない」「ダメな人間」「依存はいけないこと」という否定的な認識がなくなり、ひととして、絶対に健全な人生が送れる。

まだ今の時代は、はたらかみると、自立してないとか、当事者のひとたちは、とにもかくにもひとりでなんとか工夫しなきゃ、の思い込みと情報に溢れてるけど、絶対違うとわたしはどこかそう思ってきた。

そして、バディシステムを見つけたとき、長年そう思ってきた直感は、正しかったとそう思ったんだ。

 

今ようやく教育現場で合理的配慮や男女のジェンダーフリーが進んでいる中でも、発達障害支援はまだまだ、偏見と誤解のなかで支援者もどう助けていいかわからない、当事者もひとりでどうすればいいかわからない、どう助けてもらえばわからない、で溢れてる。

発達同士は、つまり一部が子どものままの感覚で生きているのであって、純粋で、繊細なひとが多く、お互いを思いやれるし、男女関係なしに補い合えることが当たり前になれば、素晴らしいなとそう思った。

 

「自立とは、依存先を増やすこと」

ずっと昔から大事にしてきた、有名な小児科医の熊谷先生のことば。

藤野博先生の本にも、それが出てくる。

🙏

 

 

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