障害とか病気とか死って
踏み込むまではみんなが恐れるけど
本当は全然そんなこと、無いんだよね。
ありきたりな表現をするとするなら、むしろギフトで祝福だから。
絶望を通り越して辿り着く場所は、本当に軽やかで明るくて
この間ゆうこさんと話した時に
「なんか、羨ましいよね!こんなに単純でシンプルで、まいちゃんは、幸せだよねえ…!」と感嘆の言葉をもらったんだけど、まさにそうだと思っていて首をブンブン縦に振ってた。
でも実際多くの人は、それを劣っていたり憂いたり、
「自分たちがなんとかしなきゃ」と思ったりする。
今日介護と看護の違いを読んで、看護は「観察する」のが本来の意味だと書いてあって、すごく納得した。
いつも支援をたくさんしてもらう看護師さんが、どうして上手に助けてくれて、うまくいかないケースとは何が違うのか?
話したら、「何もしようとしてない」と言っていたから。
そこには信頼があり、対等であり、何もしなくとも見守る愛がある。
そういう時はむしろ、
必ずシンプルな必要なことに手が届くんだよね。
そして、助けてもらえたとそう感じる。
それにしても介護と看護の視点の違いってあまり、考えたことがなかった。どちらも必ずタッグを組まれるようなその2つが、自分に直接最も必要な助けをくれることが多かったひとに、看護の視点があったんだ、と気づいた春だった。
りゅうじやあきちゃん、実際の訪問看護の看護師さんもだけど、いつも「観察」していること。
わたしの命綱だった。
いろいろありがたい。
2024年4月
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