誰かのために、この先も生きられたら
どんなにか、楽だろうとそう思う。
でもわたしが魂の片割れから学んだことは、ひとは決して誰かのために生きることはできないんだという真実だった。
それはとても残酷で、最後までわたしを丸裸にする。
何もかも身ぐるみ剥がされて見えてくるもの。
それは、拠り所は自分にしかないという、最後の学びだ。
わたしは発達障害を通して、人との関わりや、ひとりでは生きてゆけないことを受け入れることを学んでいるのに、皮肉にもそれは同時に、自分の孤独をどこまでも受け入れていかなければいけないステップになる。
何かのために
誰かのために
この先も生きられたら、
どんなにか幸せで、楽だろうとそう思う。
でももう、それすらもやり尽くした後の世界をわたしは生きるんだ。
酷だけど、去年のような絶望はもう感じない。
ただ、小さな自分自身の明るさや温もりや、柔らかさを感じるんだ。
たまらない愛の中で、胸が苦しいよ。
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