たおくんは、品行方正とか、健康優良児ということばが似合うような、模範的な子だった。
いつもいつもアウェイな場所で、良い子を演じてもあっというまに剥がれるわたしとは、全然違って、本当に天然で愛があって優しく、賢くて健康な子。
無理してそうしてるでもなく、ナチュラルな性質が調和で、女性性と男性性のバランスもとれていて、難点といえば優しすぎて弱虫であることくらい。
でもだからこそ、自分の中に嫌な心や誰かを許せないきもち、失敗したり、うまくできなかったり、他人を思いやれない自分に、いまもがき苦しんでいるのだと思う。
40歳の誕生日に、「ママのお願い一個」
「うっせーんだようクソババアって言って」と言ったら、
口が裂けてもそんなことは言うまいといった風の、優しい言葉しか使わないタオ君だった。
そんな昨日の夜に、パニックになってせっつかれることでタオ君もまた錯乱状態でパニックになって大声を荒げたときに、「だからそんなこといってねえんだよ!!!」と悪いことばを使ってたタオ君。
でも、そんな言い方をする自分のことがきっと、たまらなく苦しく、たまらなく許せないんだなとよくわかる。毎日ほんとうに苦しそうで、それが見ているだけでこっちまで苦しくなる。
どんなタオ君でもいいんだよって、失敗しても、汚いことばを使ってしまっても、嫌なきもちを抱いても、誰かに怒っても
それでいいんだと
気づけるように。
愛を送ろう。
一緒にいて話すたびに、わたしは混乱してしまうから。
せめて、ひとりのときだけでいいから、タオ君にたくさん愛を送る。
りゅうじに、タオ君がほんとうにりゅうじによく似てると送った。
タオ君は1番りゅうじを尊敬し、好きでいる。
りゅうじも、優しさで嫌なことは一度も言わない代わりに、苦しさや怒りを全部ため込んで、そして去っていく人だった。
自分がそういう感情を抱くことに耐えられないのだろう。
ネガティブな感情は、その人の人格とは関係ない。
ただ受け入れて感じて抜いてゆくことができれば、楽になる。
でも、確かにそれを正面から受けとめて許すには、それ相応の勇気や器が居るんだろう。
さもなくば、その場から去るしか方法は無い。
わたしはタオ君がタオ君を好きでいてほしい。
タオ君自身のことを許して愛せたらいいなと思うけど、それはわたしの勝手だね。
また前のように、「僕は最高だ、僕は僕が大好きだ」と言える日が、来ますように。
また一緒に、笑顔になれる日が、来ますように。
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