この世界は
愛があればなんでもいいみたいなとこがあって
それは本当に危険なことだな、とそう思う
わたしの両親は、普通に愛のある人たちだった。
一般的に子どもが喜びそうなことをずっときちんと与えたし、外から見ればとてもちゃんとした良い家庭に見えたことだろう。
でももし本当にその愛が適切な使い方がされているのであれば、小さい頃からずっと
死にたい死にたいと苦しんだりはしなかった。
わたしはとても大きな愛でずっと周囲の人を愛してきたけど、誰にも届かなかった。
それは、相手が必要としていることに届いていなければ無用の長物となるだけでなく
無いよりも残酷な痛みを与えることを
自分を知るごとに
嫌というほど思い知らされる。
助けたい人たちに囲まれるだけ囲まれて
手が届かない時の苦しさは
それと同じだ。
愛に囲まれているにも関わらず
生命が毎日危険に晒されること
そしてその愛は、立派なものとされている。
愛は、適切な使い方をされて初めてこの世界を潤してゆく。
ただ漠然とした愛は
どれだけ大きく深くとも
結局は自己満足に過ぎない。
小さくともその愛を適切に使うことをしている人たちは、稀だけれど高尚だ。
わたしは大きな愛を、それなりに役立てる場所にいた時は活躍したが、それ以降は無用の長物となるどころか自分と愛する人をずっと傷つけた。
生命を救える愛と
役立たずの愛があるのなら、わたしはその愛を使うことに重点を置きたい。
支援をもらう立場の苦しみと
支援する川の立場の苦しみの両方を味わい尽くして、やっと少しづつその世界が見えてくる。
自分のすべきことは、愛の使い方のほうだ。
わたしをただ漠然と愛してくれた全ての大勢よりも、言葉にならぬ「助けて」を拾い
生命の危険から守ってくれる人のやり方を、これから自分も身につけていく。
その違いややり方全てを見せてもらえたことを、今は何よりの灯台として荒海を進む。
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