協力してやる、という概念が、 人々の中に存在していないことに気づく 協力すれば一緒にやれることが、一方的に助ける、またはひとりでやる、のどちらかしかないとき、1人でできない人たちは八方塞がりになり、1人でやれること限定の人生になる。 ほんとうは、「一緒にやる」ことができれば、なんだってできる。 すごくすごく、シンプルなコミュニケーションや 共有するということ その大切さや素晴らしさの […]…
りゅうじが、一方的に与えるだけでわたしのできることが見えないことが、とてつもなく悲しかった昨日。 どれだけ話しても、与えると受け取るは同時に起こっていることは伝わらなかった。 自分にもできることが山ほどあることに、気づいてもらえないことはこの世界で最もひとから力を奪ってゆく悲しいことのひとつだとそう思う。 わたしは助けが必要だが、助けてもらう必要があるのは、自分が人の役に立てる、自分 […]…
うまくいかなかったからこそ、自分はその答えを知っているということになる。 伝えられなくてもいい、それをやる。…
自分が人にしてほしかったこと 決して気づいてもらえなかったこと それを 人にしてゆく 同じように気づいてもらえずに独りで闘ってきた人たちの側で、支えたい。…
この世界は 愛があればなんでもいいみたいなとこがあって それは本当に危険なことだな、とそう思う わたしの両親は、普通に愛のある人たちだった。 一般的に子どもが喜びそうなことをずっときちんと与えたし、外から見ればとてもちゃんとした良い家庭に見えたことだろう。 でももし本当にその愛が適切な使い方がされているのであれば、小さい頃からずっと 死にたい死にたいと苦しんだりはしなかった。 わたし […]…