偏見がないということ たったそれだけのことが、どれほどの愛なのかと毎日思い知らされるような思いがする。 ただ、わたしという人間を 誰かという人間を 思い込みや 偏見や あたりまえや 先入観抜きで ただそのままを見ること。 たったそれだけで全ては何ひとつ問題では無くなるんだよね。 予定 お出かけ 日々のこと どうしてしげこさんとこれだけスムーズに話せるのかな […]…
すべてを、予定通りこなすことよりも、 しあわせであることを選ぶ。 できなくても、すべて忘れても、死んでもいい。 ただ、しあわせであることを、えらぶんだ。 幸せな日をありがとう。しげこさん。 …
わたしは、幸せだった 精一杯やって、最後まで、生きようと声を上げ続けて それでも助けてもらえなくて 最後、それを受け入れること 許すこと 何もかもを手放して 生きることへの執着も そして死を選んだら 怖いよりも ただ、もう苦しまなくていいんだと 自分が今までどれだけがんばってこれたか ひとつも悔いは無いと思えて、嬉しかった。 タオ君を産めてよかった。 潤に出会えてよかっ […]…
苦しかった原因が看護師さんのおかげで少し見えて、落ち着くことができた。 過去の支援で多くのひとが、わたしの方に支援が必要であることを見落とし、タオ君の支援(というか心のケア)に走ろうとする。 わたしの困りごとが理解できない時に、助けたい気持ちの埋め合わせとして、何らかのかたちで補完するためにそうなるのかもしれない。 そしてそうなると、タオ君もまた 必要な場所に助けが届かず、困っていない部分に同情が […]…
痛みや苦しみをひとつ体験するたびに そのひとがどんな思いでいたか 何を必要としてたのか わかることがある その痛みや苦しみで叫ぶ誰かを見るたびに うん わたしは毎日そんな思いをしてきたよ そう思う でも君がどこで何をすると決めても わたしはいつでも手を差し伸べるよ いつでも助けるよ そう思う 痛くて苦しくて、そんな時に頼りにしてたひとが手を差し伸べてくれなかったら 身体の傷よりもそっちの方が、苦し […]…