発達障害の検査を受けることになり、数値で自分のよわいところなどを出してもらった2020年10月。
IQなどが、数字で出ました。わたしの場合は言語と記憶に障害があって、それを家族を含める身近にいるひとに話すことで、ほんとうにそのあともしんじられないくらいの色んなことがわかってきました。
「自分ではおもってることや言いたいことを伝えてるつもり」
が、
あいては「何言ってるのかまったくわからない」
ということがずっと長年起こってきたそう。
病院の先生は、「つまり、ひとと話すときに通訳・翻訳がいる状態ですね」
と言われ、こうやって文章を書いているかぎり、自分をふくめ誰もそれにきづかなかったみたいです。
そうして言うと、いろいろな反応にいくつかに別れることに気づいてきました。
大事なことを今日ショップ店長のゆきちゃんが自分の子供の自閉症についてかいてくれたのでシェア。
お互いが困らないように子供について伝えると、
「大丈夫だよ〜」と言われることへの違和感と、どう反応してもらえると嬉しいのか。
まったく同じことを考えていました。
わたしの場合は、酷く不得意なところで困っていても、
「その分、ひととは違う才能があるんだから大丈夫だよ」
「そんな小さなこと誰でもできるから大丈夫、安心しなよ」
というものがとても多かったとおもいます。
または、すっごく多いのが、
「そんなのみんな同じだよ みんな忘れることだってあるよ」
というもの。
本当にもともと、自分のクライアントさんも大勢発達障害グレーと言われる、診断されてないだけでとっても社会で生きづらいところを抱えて苦しんでる方ばっかりなので、
「そんなのみんな同じ」なわけです。そういう意味で、特別視していなかったのですよね。
でも、癒したり、気づいて治せるところと、
もともと持っている弱いところ。
その度合い。やりくりでなんとかなるところと、正式な支援が必要な部分。
いわゆる障害といわれるところは、別物だとハッと気づく。
こころの病気や感情的なつまりは、自分の意志で別人のように変わっていける部分。肉体的な病気も、感情的なところからくる多くのものは、治癒が可能。
でもいわゆる発達障害とよばれるものは、生まれつきで脳の偏りのことをいって、癒すこと、直すことができない部分です。
それを自分でもちゃんと理解して、どう世界と関わってゆくのか。
これまで本当に、上でかいた「治癒が可能な部分」に全力でフォーカスしてきた手前、それ以外の
「普通はわかる、と言われても全然わからない」ような部分は、変わらないわけだからノーマークでした。
これからみなさんの感情的な部分をよりクリアにすることと合わせて、「元々の性質」を受け入れ開示していく、みたいなことにも自分がいろいろ経験しつつ
しっかりアプローチしていきたいと思ってます。
病気のせいにする、性格のせいにする、障害のせいにする、逃げ道にするために
「発達障害なんです」と言いたいわけじゃない。
ただ、本当に人間関係に不調和が起こる原因を、きちんとお互い知れば、本当に風通し良く関わることができるようになると信じてます。
そして、病気は直す。性格は、感情のつまりをとると劇的に別人になる部分と、そういう障害的な本質的な部分の両方があるから、癒せる部分は癒す。
そして、障害は、直せない分、受け入れて、最良の策をきちんととりながらサポートを受けることを選択する。
みたいな感じかなあ。
こんな感じで、自分が自主的に変化をすることを積極的にやると同時に、「自分を知る」勇気みたいなもの、みなさんにも持っていってもらえたらと思いました。
↓忘れん坊と言葉が実はあんまりわかってなかったひと
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