ここしばらくでも、たくさんの浄化が起こって、いろんな苦しさが抜けた気がする。特にりゅうじへの苦しさや、行きたい場所に行けないことなどから自由になれた。
急な予定変更パニックも、まだ完全じゃないにせよ、「あゝ」と落ち着いて対処できるようになった。
それもこれも、看護師さんがいてくれる。バックアップがある安心感だと思う。
ひとりでは対処できなくても、誰かがいてくれることがこんなにも日々を楽にしてゆく。
ただ居てくれることは、みんなにはどうしても伝わらなかったけど
今は、楽で、自由だ。
会社からの給与の件でパニックになった朝も、悲しかったし嫌だったけど、昼までには立て直すことができた。
電話口で泣いているのをみた看護師さんが、適切な助言をくれると同時に
辛かったことへの共感を示してくれて、その愛に涙が滲んだ。
どれくらい苦しいかとか、些細なことがどれくらいストレスになるかとか
ほとんどの人は「え、なんでそんくらいで」という態度になるのに対して
ただ、「辛かったね」「苦しかったね」と心から共感できることは、ものすごく簡単でシンプルそうにみえて、なかなかできるものじゃない気がする。
「でもマイさん、辛かったのにすごくきちんと話せてたよ。」横でそう言ってくれた看護師さんのおかげで、1日また無事に過ごすことができた。
夕方外を歩き、歌うと、いつもよりも声が楽に出ているのに気づく。
いつも、とにかくとにかく声が出づらくて、喉が詰まった感じがして、苦しかった。
今は、口数が少なくていい。
誰とも喋らなくていい。
読まなくていい。
代わりに読んでもらう。
そんなことを少しづつ、増やしていけた今
わたしは、わたしでいられているような気がする。
鍼灸師さんに、「元気になったらお茶でもいこうね」と言われて、前だったら嫌すぎてパニックになっていたのも、今日はただ受け流すことができた。
わたしと一緒に時間を過ごしたいひとが、昔はたくさん居た。
たくさんのお金を払って、わたしと話したがった。
今は違う。
わたしは独りになったけど、それはわたしが、誰とも話したくなかったから。
その代わり、一緒にいてくれるひとが必要で、見守ってくれるひとが必要だった。
助けてくれる人が、ただ必要だった。
またこれから色々少しづつ変わってゆく気がする。
理解してくれたり、一緒にいたいと言ってくれるひとや、助けたいと思ってくれるひととの出会いや再会や、新しい縁も
少しづつ組み変わる気がする。
手放しを起こしてくれた会社にも感謝だし、慌てていた中で仲良くしてくれるなおちゃんにも感謝だ。
なおちゃんのおねえさんが、赤ちゃんができたと聞いて、嬉しかった。
きっとわたしのところにも、やってくる。
Yoiさんのチャネリングは、今日はとてもまた穏やかなものだった。
これからの姿勢として、いまのじっくり丁寧にいる態度は、美しく洗練されていると言ってもらった。
これでいい。
ゆっくり、道を敷いていこう。
ありがとう。
すべてに感謝。
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