愛のきろく

3年

08/16/2024

この部屋に、越してきた時に

3年だけ、がんばろうとそう思った。

奥まったキッチンはとても使いづらそうで、慣れるまでにとてもとても時間がかかった。

2階と1階を行き来することで起こる難しさも、なにが、起こっているのか理解するまでにとても、時間がかかった。

 

ただ、祈るように部屋を整えて、できる限り早く、この苦しい時間が終わりますようにと願いながら、始まった生活だった。

もしもあの頃1人だったら、今の暮らしが最後までがんばれたかどうかわからない。

ただ最初の時に、部屋を整えて暮らしが軌道に乗るまでの間、りゅうじがいてくれた。

 

最初の頃に見つけた石のテーブルは、これまで見つけた家具の中でもずっとお気に入りになって、ある日IKEAで、いいなと思っていたカウンターが展示販売されているのを見つけて、そのまま買い替えた。

10年近くどこに移っても使い続けてきたオークの天板は、多気に保管してあったけれど、先日ついにごみ収集場に運ばれていった。引越しの度に腰まである長い脚を取り外したために、裏側はネジの穴だらけになっていて、安定してネジを締めるにはとても硬い、硬い板で、まだ取ってあったんだと知ったのはつい先日だった。

 

 

りゅうじが居なくなり、祈るようにして日々を過ごし、真っ暗な時間を、必要な助けとどう関わってゆくのかを、何度も何度も繰り返し失敗しながら作っては壊れ、たくさん傷ついた3年だった。

 

わたしは、この部屋をずっと、出るためにがんばってきた。

それは、今ある生活を否定するためではなく、愛する人のそばで暮らすという長年の願いを叶えるためで、最後、ようやく潤のところに行くことを決めて、じっとその日を待っている。

3年以上はかかってしまったけれど、きっとあの日この部屋を見に来て決めたときから、わたしの魂は行き先を決めていたんだろう。

 

お盆が明けたあとの夏の空はいつも、ホッとするような熱で、新しい季節が訪れることをいつも、いつも教えてくれる。

この1、2年、近くの交差点で、高架を取り壊す工事が始まり、解体の進みをみながら、この高架が無事に壊されて、空が見渡せるようになったら、ようやく安心してわたしは引っ越しをしようと想いを馳せた。

 

山梨に行きたかった2019年の春。

山梨に、来てほしそうだった2019年の春。

「君の仕事は、どこにいてもできるよね?」

あの時潤が、一緒に来て欲しいと望んでいたことに

もしも、あの時気づいていられたら、

でもそこまでに、6年の歳月を要した。

 

6年間想い続けた人が、正確にいうと何度も一緒に生まれ変わっているわたしたちにとって

数百年思い続けた相手と、念願叶ってひとつになれる日が、もうじきやってくる気配。

約束も、何も予定が立たないまま、その日を待つという不思議な感覚。

 

待ち望みすぎて、その道のりは、何度も枯れ果てて何度も塞がれて、それでもその場所に向かい続けようとした魂のことを、祝福という簡単なひとことでは

とても、とても言い尽くせない長い時間の中で

 

わたしたちは苦しみ、そしてずっと、思い続けたと思う。

文字通り、十分すぎるくらいに。

 

この部屋に越してきたときに、潤は側にいなかった。

そんなわたしを、りゅうじがいつも助け舟を出してくれて、ぎりぎりこの生命はつながれて、そしてこれから山梨に行こうとしている。

 

 

これまで愛したどの人との関係よりも

過酷で、否応なく成長させられた旅。

 

幕が、上がる前にそして、

しずかに幕を閉じるんだな。

ただいまは疲れを癒したい。

 

 

 

 

今あるものを、大切にする。

新しい場所が始まると同時に、終わりにするのではなくて、

育む間に、帰る場所が待つように。

 

 

 

 

 

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