特性とか2Eとか 人権色々 2024 vol.4

捨てる神あり拾う神あり

02/18/2024

文字通り、いのちがけの「助けて」を続けて、これでどのくらい経つんだろう。37のときに診断を受けたから、死にかけ始めたのはそのあたりで3年以上は計画した。

困っていることに気づいてもらえない苦しさ、誤解され見捨てられる苦しさ、それでもすべてを手放して前に進み続けねばいけない苦しさと。

捨てる神あり、拾う神ありというような1日だった。

もうダメだと何度も思う。ほんとうにいのちがけだと思う。
それでも、スルーされる中で、絶望の中で、ひたすらに倒れ続ける時間・

そんな中鳴った電話口から、「ちあきだよ〜」と耳慣れた声がした瞬間に、泣き崩れた今日だった。
大学時代の同級生である彼女とは、アメリカに長く住んでいるあいだに、たまたまちあきもnyに長くいたが、あまり交流することはなくて疎遠だった。

わたしとはちがって、バリバリ行動力があり、目標が明確で、ポジティブで成功にまっしぐらにすすんで行くような、キャリアを積み上げていくそんなタイプだったから。
わたしはといえば、ほんとにクヨクヨするタイプで、外国でのらりくらりヨガや瞑想などしていた。

そんなちあきが、SNSで死にかけているわたしをみかねて連絡をくれた。

どうなっているのか、溢れるように、流れるように吐き出すと、何も言わずとも全て状況がわかるようなそんな感じがした。
それもそのはずで、知らなかった時期に、ちあきは大手の企業などで講師をしていたところから、福祉や障害のある子どもについて学びを深めていたらしかった。

わたしの状況に対していくつかアドバイスをくれたけれど、福祉があまりに情報が遅れていることや、適切な支援が受けられていないこと、周囲のひとたちにも、様子を伺われるだけで、手をこまねいていられる苦しさを吐き出した。
ちあきも、旦那さんがアメリカにいったあと1人での子育てに奮闘しながらキャリアを積む大変さを経験していたし、海外での生活の大変さや、人々があたりまえに助け合う環境や、NYの多様性について、同じものを長らくみてきたと思う。

立場や性質は違えど、世界をみて、日本の心理学の現場の現状をみて、そして最後向かった場所が重なっていたことがすごいことだとそう思った。

なにがどのタイミングで、福祉の関係に転向したのかはまだ聞かなかったけれど、東京でルームシェアできる、助け合えるグループホームを運営しようとしていたと言われた。

他人と一緒に住むのがあたりまえのNYで、長い間あたりまえに培ってきた感覚や、日本にまだ全然根付いていない、支え合う環境を、自分の力で築くだけの行動力や説得力がちあきにはある。
優秀で賢いひとだが、わたしのできなさに、一言二言寄り添ってくれて、東京に遊びにおいでよという傍ら、旅行の計画や予約などの手続きはできるのか?と訊いてくれて、うれしかった。
やりたいことや、できることを山ほど持っていても、手続きや申し込みや予定がわからなくて、そのことに気づいてもらえないと、何もできないこと

知識は、本当に人を救うんだとそう思った時間だった。
感覚や経験で、(そんなかんじ)でうまく相手をキャッチしたり理解できるわたしにとって、知識をつけることはとても難しかった。
その点ちあきは、頭がよくて、たくさんの知識を持っているように思う。

発達障害のひとたちへの支援は、あまりに遅れている日本の環境で
先陣を切って切り開いてゆくところを想像したら、魂が震えて喜んでいるのがわかる。

辛く、暗く、苦しい時間。
夜が開ける前が最も暗い。
その時間を必死でくぐりぬけて、あかるい場所に出ようとしている。

近所の小学生のお母さんにもはじめて自分から話しに行き、困っているときに助けてほしいと申し出たら、実は次男は自閉症とADHDだと聞いた。
いつも敷地内をうろうろしている兄妹で、スイス人とのハーフだと聞いてから仲良くなりたいけど、きっかけもないままだった。
まもなく家が建った場所に引っ越すので、長くはいないけれど、イギリスやスイスに20年住んだというお母さんと話せたことは、大きな光が心に灯ったように温かかった。

優秀で、海外を行き来していた人たちの中に、少し前まではきっと
発達障害の存在は当たり前ではなかった。
いたことはいたかもしれないけれど、自分たちにとても関係のあることだったことを知ったのは、きっとみんなとても最近で、必死で知識を深めて、情報の遅れた日本の中で闘ってきたひとたちが、これからつながってゆけたらいいとそう思った。

自分だけが、必死で変わろうとしてきた10年20年の間に、同じように真っ直ぐに進んできたひとたちがいてくれる。
これまで、出会わなかったひとたちと、つながりはじめたことが、行きたい未来がこちらに向かってくるのがわかって胸がいっぱいになった。

尊い1日。
過去つながりたかった人とは次々切れてゆき、
苦しかったけれど、学びと変化と新しい風に満ちている。

もうじきわたしは41歳になる。
きっと、だいじょうぶ。

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