この部屋に、越してきた時に 3年だけ、がんばろうとそう思った。 奥まったキッチンはとても使いづらそうで、慣れるまでにとてもとても時間がかかった。 2階と1階を行き来することで起こる難しさも、なにが、起こっているのか理解するまでにとても、時間がかかった。 ただ、祈るように部屋を整えて、できる限り早く、この苦しい時間が終わりますようにと願いながら、始まった生活だった。 もしもあの頃1人だ […]…
ずっと前に 道に迷って なにもかもを失ったときに わたしはただ、愛するひとの望みを叶えることがしたいと そう思った。 富士山も ジェットコースターも わたしには ほんとに必要なくて でもタオ君に、富士山を見せてあげられたこと ジェットコースターに乗せてあげれられたこと それが、わたしが一番したかったことで、 それができることが、一番幸せなことだとそう思う。 タオ君の、願いを叶えること […]…
ほんとうの自立とか 自立のための助けや子育て 一緒についていったり一緒にやるだけのキャパが わたしには無かったからこそ 何かをさせてあげたかったら ひたすらに自力でやれる力をつけてあげることしか方法が無くて それだけをタオ君に叩き込むこと 側から見たら、厳しいだけ でも こうして人並みに 旅行に行ったり 見たいものをみて やりたいことを やらせてあげる 何度も絶望して諦 […]…
朝ごはんの部屋には、ビジネスホテルっぽいおじさんたちとかがたくさんいて、普段泊まる旅行者用のホテルとは全然雰囲気が違った。 タオ君が、ママこれは旅行じゃなくて引っ越しの下見だからねと言って予約してくれたホテルに、中高生くらいのスポーツの学生の団体がいて、あっという間にきっとタオ君も、こんなふうに合宿とかに行くようになるんだと思った。 よく人々を見ていると胸にバレーボールと書かれた服で、隣にいる団体 […]…
タオ君が、2年ぶりに話したのに2週間ぶりくらいだね。 とそう言った。 わたしたちはいつもそういう関係で、ずっと何ヶ月も何年も音信不通でも、「来週帰ります」と突然実家に戻ってくるみたいに あたりまえのように、いつもそこにいた。 昔わたしが潤をまだ恨んで忌み嫌っていた頃、ある日に「ずっと連絡取らなくても平気なの?」とい訊いたことがあって、その時彼は「うん。毎日君のことを考えるから、毎日一 […]…