わたしが倒れることは、花たちが枯れることを意味する。
いつも、こうして枯れたあとに外に出て水をあげるとき
こういう日が二度と来ないようにするにはどうしたらいいかを真剣に考える。
命は全て、支えあって、めぐりあって、繋がれてく。
いのちを繋いでくものの責任として、倒れることは、許されない。
なにかを産み落としたり、育んだり、水をあげていくことは
同時に、自分が生きると覚悟を決めることだ。
すこしづつできるようになることが増えてくタオさんの成長と同時に
自分は死んでもしかたないと、思うことじゃなくて
生にしがみつくようにして、わたしは花に水をあげる。
まだ見ぬいのちに、もしもまた出会うことができるなら、山下さんが望む、女の子を自分が自分に宿すなら、
わたしは生きないといけない。
この国で、その術を探さなくてはいけないと思う。
一気に黄色の葉っぱを増やしてしまったあさがお。
ごめんね。
水を枯らしてしまう瞬間に、1日も立たずに枯れていく花たちを見ると、いつも本当に自分のようだと思う。
しばらく前に切ったサフィニアが、いつもの強い香りとともにまた花をつけていた。
生命が、また私の生命を支えて、勇気をもらう。
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