古いレシピの間に、当時の記録がちらほら残っている。
誰にも見せないけど、大好きになった人に出会ったときの、こまかな会話の内容とか。
あれから本当に、時間が経って
当時大事にしていたけれど、通り過ぎたものや
必要なくなったものが、山ほどあるんだなあと思って、時の経過が嬉しかった。
ニューヨークで大学に行っていた頃は、哲学や宗教や心理学の授業をよく取っていたり、前の旦那さんがPh.D.(博士号)で大学にいたこともあって、周りにいた人たちと頭を使うことを楽しむ会話が日常だった。
アメリカでは、賢くあることや、知的であることは価値があると思われるし、世界の現象についてきちんと考えて、自分なりの持論を述べることは普通のことだ。
わたしは自分のことをそうだと思っていたわけじゃないけれど、好きな人たちにWiseな人間だと思われていたと思う。
日本で生活すると、途端にそれは「理屈っぽい面倒な人間」とされたり、可愛げがない偏屈者とされてきた。女の子とは特に。とにかく嫌われる。
人は、ただ事実を述べたり筋の通った話し方をするだけで、勝手に見下していると言って怒ったり、批判されてると誤解して、必死で支離滅裂な反撃をしてきたりする。そのうちわたしは必要とされるとき以外は(仕事で先生をするときとか)何か真実を話すことを辞めたんだと思う。
今でも福祉とか役所の人とはなすときは、うんざりするくらいそういう話が通じない時間がある。
わたしは自分のことを特に賢いとか思ったり、周りを見下したりしたことは多分実は、この人生の中で一度もなかったんだけど、でも日本でのその旅は、なかなか過酷なものだったなあ(現在進行形)と思う。
普通の人が認知できることが極端にできないとか、障害者として人の助けを借りながら生きることで、むしろできそこないとして生きている。
その反面で、物事の動きや人の様子がわかりすぎて、どうしようもなく混乱し歯痒いときもたくさんある。二重人格だと思われるのはとても辛いけど、日本にいるとどうしてもそう誤解されるんだよなあ。
また昔のように、ただ延々と興味のある会話を話せるような友達が、そのうちできると楽しいな。小難しい話題が好きなわけじゃないけど、わたしは、小難しいことをきちんと理解している人と、何も話さずに一緒にアイスを食べたり、ふつうに過ごすのがとても好きだ。
出会った日に一目惚れした前の旦那さんとは、別れてからほぼ一度も話してないんだけど、当時の記録にこんな会話が載ってた。
陰陽師に会ったらボクの憑神はリスにしてもらう
マイちゃんの憑神はナメクジでいい?
イケメンのアメリカ人で、変人だったわ。山口百恵が好きだった。
マイちゃんの憑神はナメクジじゃなくてにんじんかピーマンがいいわ。
過去が、健やかな過去であることが、今はとても嬉しい。





No Comments