日本にいた頃、若いときから、とにかく知り合った男の人という男の人に女として見られた。
モテること自体はありがたくてすばらしいことなんだけど、こっちに好意があろうがなかろうが、常に一線を踏み越えられそうになってきたことで、わたしはかなり傷ついてきて、人間不信になったとおもう。
全くもって誠実な関係(しごとだとか友達だとか、一切そんなそぶりのない時)においても、友達の旦那さんとか友達の彼氏からいきなり告白されるのは、嬉しいよりなにより自分が裏切られた気分でゲンナリした。
明らかに好意を持たれることで、奥さんの嫉妬で友達すら諦めざるを得ないとか、そんなのばかり。
逆に私に明確なパートナーがいて、はっきりとその気はないと伝えても、相手の好意がどうこうなるわけでもなく、とつぜん怒りを向けられたり悪口を言われることで、わたしはどんどん自分を嫌いになったと思う。
最近一連の出来事でいろいろ気づいて、なんでわたしはこんなに男の人からいわれのないことを言われねばならんのだろう、と憤ってたんだけど、ちょっと気づいたことがあった。
いわれのないことを言われる時の相手と、よき関係を築ける相手は何が違うんだろうって考えたときに、相手がわたしを女として見てるか、人として見てるか。という大きな違いがあることに気づいたのだった。
大抵、自分が相手を人として認識して、オスとして見てない場合、よく起こってきたことは、相手が自分に好意を抱いてることを完全にスルーしてきたということ。
いちいち間に受けていると、時間がいくらあっても足りないし、そもそも付き合う気のない相手に思わせぶりな態度を取っていいことなど起こり得ない。
そう思ったわたしは、相手のきもちを(なかったこと)にすることで、人間関係を維持しようとがんばってきたのだった。
ところがどっこい、実際は、相手のきもちをなかったことにすることで、あまりに一線をビシッと引くために、相手が勝手に傷ついてくということだった。
優しくして愛をもって接すれば、「思わせぶりな態度をしたお前が悪い」とかディスられ、ビシッと一線を引きはっきりとその気はないですと言葉にして伝えれば、それはそれでディスられ、
なんかもう、モテるってめんどくせえなと思った今日なんだけど
でもおかげで、長年同じことが繰り返された中で、自分は別に悪くなかったんだなと気づいた夜だった。
わたしは、自分が悪口を言われるたびに、なんとか必死で自分を正当化しようとがんばってきたけれど、でも思い返せば、悪口を言った男は必ずどこかのタイミングで、わたしに好意を示してきていたことに気づいた。
そうか、単にわたしが好きだったから、興味ない態度に傷ついてそうなっただけだったのかもしれない。
そう思ったらなんか、今まで苦しんできた全ての記憶は解けてなくなって、許すこともできて、これからまた新しく男の人と関係を築いてゆけるかもしれない、とそう感じた。
そういえば海外に住んでたときはこんなトラブルっていうかイザコザ、一回も無かったよなあ。
普通に好きな人と付き合ったり別れたりはしたけど、興味のない男にディスられたりしたことはなかった。
なんでだろうと考えたけど、1つには、NYでは私は普通の人として生活ができたことがある。日本にいると、黙っていても目立ったり、何もしなくてもオーラがあると言われたりして、勝手に魔性の女扱いされたけど、NYの人種のルツボの中でわたしは、至極地味にに映ったろうし、そこではみんな、誰もが特別な場所だった。
もうひとつは、英語でコミュニケーションを取る時は、とてもシンプルな言い回しで
I’m glad to hear it. but I am not interested in you as a man, but I really like you as a person. I respect you, and you are really attractive person. but not for me.
こうはっきり断っても、まったく角が立たないのだった。
相手は、恋愛対象ではないからごめんね。でも人としては大好きだよ。をきちんと受けとめてくれる。
日本ではこうはいかない。まず男として見れませんと言った時点で、自尊心をズタボロに傷つけられるのが日本の男の人の特徴のような気がする。
日本に帰ってきて、離婚が決まったときにたおくんのお父さんや友達からプロポーズされて、結局わたしはどちらも男としては見れずに関係は終わった。
そこから始まり、これまでの8年ほんとうにたくさんのことがあったなあと思った。
わたしにとって、自分が異性として見られる関係というのは
とても特別だし、特別であって同時に相手の好意を同等に返すことができる安心できる関係なのだと思う。
これから先、自分が男としてみていない男の人たちと
どう関わってくかは、モテる女の宿命でもあると思うけど、でも確かに言えることは、
この先はあんまり自分を責めたり、ディスられても
「なんだ、あの人わたしのこと好きだったのか。。。」と単純に思えそうな気楽な境地に入ったということ。
誰かが、自分にその気がないのに踏み込んでくることは、とても骨が折れて苦しいことだし、恋愛感情や身体の関係を求められたところで返せないとき、少しでも見返りを求められることはとても厄介だ。
そんなふうに思ったとき、自分の周りにいる男のひとで、男女としての関わりでなく関わってくれているひとたちに感謝の念が湧く。
わたしを好きにならずにいてくれて、ありがとう、と思う。
モテるの末路。それは人それぞれかもしれないけど、単純に幸せなことではなくて、愛される運命に翻弄されないように、傷ついたこころを癒しながら、嫉妬をスルーしながら、自分なりの立ち位置を踏み定めてゆくしかないのだとそう思った。
本当に愛している大切な人と、本当の恋愛やパートナーシップを築くこと。
ほかのすべての愛してくる相手がどうでもいいとか、切り捨てるとかじゃなくて
好意をもってくれた全てを、なんていうか糧にして、自分の行先と目指す場所へのポジティブなエネルギー源にしてゆきたい。
真のモテるとは、モテる男の1番になるという話を昔したことがある。
潤やりゅうじのように、モテる男の一番になること。それをずっと保ちつづけること。
愛でしかなし得ない立ち位置だし、単なるモテるでは、モテる男の1番は勝ち取れない。
潤の神様から指名を受けたように、自分に白羽の矢が立つことを責任をもって全うしてゆくことができたら、それは「ほんとうに愛する人に愛されて、愛のある関係を築く」
という自分の夢が、叶うということだ。
これほど多くの男に愛されて傷ついて辛い思いをしてきて、いま最後の砦にいるような気がする。
この先潤と歩んでくと決めた22年の夏から、ようやく幸せなターンにきている感じがする。
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