自分のこと ABOUT

日本でも、愛されること

01/22/2022

わたしは、正真正銘の嫌われものだった。

 

この国で、それは物心つく前から呪いのようについてまわって

りゅうじがいなくなったことで、ただいなくなったことではなく

何年もずっと、人間関係は常に最後わたしが嫌われて終わる形で、

 

わたしを愛してくれる人は、この国にはやっぱり誰もいないのだという

小さな頃からの思いこみがぜんぶ溢れて、

鋭く尖ったナイフで

からだじゅうを突き刺されるみたいに痛くて

わたしは、毎日毎日、声を張り上げるようにして泣いた。

 

 

わたしが、日本で愛されなかったのは、

日本語のコミュニケーションが自分の理解できる範囲から外れていたことと、

考える力があったために、小さな年頃の女の子が最も疎ましがられる、【理屈っぽい】嫌な子供だと思われていたことがあった。

 

わたしの発達障害は、そのまま誤解されたまま

真っ向から人格を否定されてきたと思う。

それはこの仕事をし始めてからもずっと、続いた。

 

 

りゅうじとの関係は、典型的な日本の無意識のコミュニケーションと

そこに混乱しつづけるわたし

そこで根深く植え付けられた、みんなからずっと嫌われ続ける自分を

見事に再現し続けるような、関係だった。

 

 

海外に渡った途端に、途絶えていた水が突然流れ出すみたく

わたしは人と上手に意思疎通ができて、そして

自分の考えをきっぱり述べることができる女の子は、欧米では嫌われなかった。

むしろ、とても大切にされた。

 

 

一日中泣いて、泣いて、

もう2度と、わたしを愛してくれる人はいないとそう感じて、

それはとてつもなく悲しいことだった。

 

自分には何の価値もないのだと、そう感じるしかなかった。

 

 

繰り返し咽び泣いて、

 

そして最後、この国で、日本語を通してでも

最後までコミュニケーションを諦めずにいてくれる

そして、無条件の愛を与えてくれる

大切な息子の存在を思い出すことができた。

 

 

わたしを受け入れてくれる男の人は

この国には、絶対に多くはないと思う。

 

それはきっと事実で、たくさん傷ついたけれど

それでも、わたしはこの国で生きていくことを選んだ。

 

楽で、安心で、簡単に、みんなからいつでも愛されていると

感じられる外国ではなくて

 

常にアウェイで

常に人の顔色がわからなくて

つねに、不安でいなければいけないこの国で

 

わたしは愛されることを選んでゆく。

 

それはとても、長くて辛くて過酷な旅だと思う。

 

でも、やりきっていきたい。

 

 

わからないなりに

みんなの気持ちも想像できないなりに

ことばの裏を

察する力が無いなりに

 

わたしは、わたしの方法を見つけながら、

この国の人たちを愛していく。

 

 

 

この曲を教えてくれた前の旦那さんは

アメリカの中で、苦しんでいたアメリカ人だった。

 

彼ももしかしたらわたしと同じように

自分とは違う理解し難い文化のなかで、もがいていたんだろうと今になって思う

 

 

ことばや文化が違う場所でも

理解したり

コミュニケーションを取れたら

きっと

誰も

愛するひとのことを嫌ったりしない。

 

タオくんが、わたしのこどもで本当によかった、と思った。

 

 

日本語も、しゃべれて

日本人とも上手に話せて

わたしとのコミュニケーションも論理的にできる力を身につけた、愛をいっぱいくれる

すてきな小学一年生だ。

 

 

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