最近は、【しごとをきちんとやること】の大事さを考えてて
ママだったら、おうちのことをちゃんとやることや、家族の世話をちゃんとやること
女も男も、しごとを頑張ってやる人が、わたしは好きだなあと思ったのだった。
やりたくない仕事をやることって、世間一般でなんとなくカッコ悪かったりとか、やりたいことを仕事にするって、世間一般でなんとなく素敵っぽいとか思われがちだけど
やりたいことを仕事にして楽しいのって、なんていうかすごい最初の次元までなんだよね。
わたしの周りにやクライアントさんたちの中にも
普通のひとができない技能や才能を使ってお仕事がんばってるひとたちがいるけど、むしろ彼らの苦悩といえば、
やりたくない仕事をがんばる中では絶対に生まれない、好きなことを追求したり向き合い続けるからこその死闘がそこにはある。
それを繰り返してやっていくからこそ、徐々に認められていくし、きちんと仕事がもらえたり、磨かれていく。
そういうときに10年とか20年とかを地味に続けていくことって、ほとんど【超やりたくないことやってるけど自分にはこれしかない】という酷な感覚がつきまとうものだと思う。
長い人生のなかで、寝てる時間や遊んでる時間のほかに
毎日こつこつ仕事をする時間があって
その場所が、誠実で
いやでも、いやじゃなくても、ちゃんとやれるひとは
やっぱりかっこいい。
わたしは仕事が好きだから、本当にそう思うし、そういう男の人を好きになってきたんだなあと思った。
絵を描くしごとは、しごとっぽくないと思ってきたけど、
依頼されて、そのテーマに自分を合わせて、焦点をあてていく作業は、すごく苦痛で、しごとらしい仕事だと思った。
わたしの根は全くもってアーティストっぽくなくて、もっとデザイナーとか職人に近いとおもう。
でもひとつ、絵をかきあげたり、ひとつ、ロゴのイメージが固まっていったりすると、内側がやっと澄んでいくのがわかって
仕事をこうしてきちんとさせてもらえることは、
自分にとっての罪滅ぼしというかとても上質な、浄化なんだろうなと思った次第だった。
絵を描くまでは、誰にでもできる。
人の悩みを聴くまでは、誰にでもできる。
絵を描いて、お金をもらうことや、人の悩みを聴いてお金をもらうこと、そして何かを解決すること。
自分が生かされること、それそのものが浄化。
仕事をさせてもらえることは、嬉しい
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