今日まで、台風の影響で風も強いからと言われていたので、よし、今日も草取り名人の休暇だと思って起きたら、うららかに晴れていた。
前の夜からめまいのするような苦しい時間を過ごしていたので、起き抜けから祈るようにして
「かみさま、今日1日が無事に終わりますように」と手を合わせて外に出る。
3週間が過ぎると、最初のころどんどん草がなくなって気持ちよかった活動も消えて、地味になる。
とったはずの場所にまた生えているのを抜き、ああ、これはまた一生続くのだと思うようなうんざりした感じや絶望、一周して振り出しにもどり、なにかを始めるときの初々しい高揚感も消え、自分は草取り名人だ!と嬉々として自分に酔う感覚も消えている。
そう、ここからが人生の正念場なのだ。
そう思った。
山下さんがきてくれるようになってから、あっというまに2ヶ月が過ぎた。
楽しいことばかりではなくて、繰り返し繰り返し苦しい時間も合間に挟みながら、怒涛のようにすぎて、彼はまだ側にいてくれる。
盆の帰省で遠くにいるそのひんやりした距離と温度感を感じながら、雲を掴むようなこころもとない気持ちで、消えた気配を探す。
一周した。
まだこれから、それは続いていくのか?
ひとはどうして、ずっと何かが続いている錯覚を信じられるんだろう。
どうして昨日あったものが、今日もそこにあると信じられるんだろう。
できることならば、わたしだってそうしたいのに。
でも彼は今日も、優しい声で結局
「ん、電話してよかったな。一個発見があった。」
そう言って、わたしが昨晩真っ暗闇で遭難した1つの理由を、すこしづつ理解しようとしてくれた。
今日も朝の祈りのとおり、
空は晴れて、夏らしい1日になった。
新しい看護師さんの短い髪のえりあしの部分が、かわいい色に染められていたことに気づいて、その髪の毛がかわいいね、というのを忘れた。
一緒に来ていた看護師さんも、清潔感があって、垢抜けていて、綺麗だった。
頼りになる誰かの手を、いつも握っていたい。
わかってくれようとする人たちの存在が、ただ尊い。
今日の朝一階に部屋に差し込んだ陽は、引っ越してきたいままでの中で一番綺麗だったかもしれないな。
なにかがめぐり、また始まる。
そういうものだ。
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